誰かに教えたくなる蔵物語

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誰かに教えたくなる蔵物語

宮﨑杜氏にとっては命がけの球磨焼酎づくり

 
明治時代、球磨焼酎の蔵元の多くは鹿児島県の薩摩半島にある黒瀬地区から杜氏を招いていました。黒瀬杜氏です。福田酒造の初代杜氏も黒瀬の人でした。2代目からは自前の杜氏が育ち、宮﨑さんは4代目になります。最初は営業担当だったのですが、先代の杜氏が蔵を辞める前に引き継ぎをしようと、焼酎の製造を学び始めました。ところが、事件が起こります。麹菌のアレルギーを発症してしまうのです。全身に発疹が出て、ぜん息のような症状が出ました。「どうしようもない」と一度は道をあきらめましたが、先代が蔵を去るときに再度挑戦しました。仕込みの時期は蔵中に麹菌が舞うので防護服で完全防備。仕込みが始まる2月は寒いのでちょうど良いのですが、終盤の5月ぐらいになると暑さも宮﨑さんの敵になります。別の蔵元にも同じ症状の杜氏がいて、対策を聴きましたがどうしても克服できませんでした。「医者からはもう麹菌を浴びないようにと注意されるのですが」。それでも「おいしい焼酎をみなさんに届けたい」という熱意が勝り、また年が明けたら仕込みの準備に入ります。まさに宮﨑さんが命がけでつくる球磨焼酎をぜひ、手に取ってください。

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